思い切ってワールドクルーズ〜飛鳥Ⅱ乗船日記

2019 アジア グランド クルーズ 乗船日記 更新中

パナマ運河通過

6月12日は早朝よりカリブ海側の入り口、コロン港の沖合いに待機していた飛鳥は、船団の2番船としてパナマ運河に入りました。
1番船は窓の無い6〜7階建ての細長いビルのようなKラインの自動車運搬船です。体積が大きく軽いので、風の影響を受けやすく狭い水路での航行は難しくタグボートが2隻着いています。
遠くから見ると飛鳥の巨体がとても入れないような、狭い水路にソロソロと入り、川重製の電気機関車を6台とロープをつなぎ、後ろの水門を閉めて注水をして、前方の水路と水位が同じになると前方の水門を空けて、軽くスクリュウを回して前進します。電気機関車は左右のバランスを取りながら船が側面に衝突しないようにし、また前進補助と停止するためのブレーキの役目をします。
この繰り返しで約30メートルの高低差を3水門を通過して昇ります。
船尾から見るとカリブ海の水面がかなり下になり船が丘に登った感じがします。
上った先はガツンレイクと言う淡水湖になっていてこの湖をしばらく航行して標高が60メートるある分水嶺を切り開いた、切り通し水路を通り、今度は太平洋に向かって3水門を下がっていきます。
理屈は単純ですが5万トンの豪華客船が実際に動いていく様子は、なかなか興味深く、ついつい朝の5時から16時まで、朝食と昼食の時間を除いて甲板の上をうろうろしていました。
最後の水門を通過したとたん、空が暗くなり凄いスコールが降りはじめました。大きな流入河川も無いのにガツンレイクの水が豊かなのは熱帯多雨のこの気候のお陰だそうです。ただ、12月頃の乾期になるとガツンレイクの水位が下がり水路に注入する水が不足して運河の機能が低下することもあるようです。
「飛鳥デーリイ」と言う船上新聞で知った事ですが、この世紀の大事業に「青山 士」と言う日本人の技術者が参加していたそうです。
東大工学部を卒業して直ぐに渡米し過酷な気候と人種差別に耐えながら活躍し、当時の最先端の土木技術を習得して帰国。
帰国後は学んだ土木技術を応用して、荒川放水路信濃川・大河津分水という大プロジェクトの現場を指揮したそうです。日本の治水事業とパナマ運河が繋がっているとは思いませんでした。